2011年02月10日

暴言を残す連中を考えてみる

 インターネットのあちこちで起こってる罵倒・暴言。それを大量に書き込んでいくさまは、大勢を利用して少数の者達をけなすイジメ行為以外のなにものでもない。
 まともな感覚を持っているならば、そのような行為に眉をひそめるし、自分から進んで参加しようなどとは思わないでしょう。
 ですが、人間というのは時としてそれを踏み越える時があります。
 理由は様々でしょうが、次のような理由が考えられます。


・仲間が大勢いる
(何かあったら助けてくれるだろう、という安心感)

・自分が正しいと信じている
(例え少数であろうとも、正しいことを主張して行かねばならない、という正義感。そうやって主張している事が本当に正しいかは全く考えない)

・誰かに命令されている
(生殺与奪の権利を握ってる者に言われたから仕方なくやっている)

・皆がやってるから自分もやる
(明確な理由がなくても、人は大きな流れに逆らえないもの。それなら他の人と同じ事をしていたほうが楽。仲間がいるのも楽しい)


 全てがそうだとは言えませんが、だいたいこんなのが理由なのではないでしょうか?
 こういった連中を考える時に、通常の人々の考えや思惑を考えてはいけません。
 荒らし・炎上・コメントスクラム、という罵倒・暴言の集合体は、普通の人間集団とは全く違った考え方で成り立っている、と思った方がよい。
 ではいったいこういう連中はどういう集団なのか、ということになりますが。
 これは狂信的な信仰団体、異様に結束の強い集団が最も近いと思います。
 オウム真理教が最も分かりやすいでしょう。
 ヤクザや暴走族などもこの類かもしれません。
 これらに共通するのは、



・他に行くところがない連中が集まっている
・集まった連中同士で結束しないといけない
・結束するための簡単な手段は、仲間内の外に敵を作ること
・敵である理由は何一つ必要ない。適当にでっち上げればよい
・敵をたたくために皆で協力する
・その協力、誰かとの一体感が楽しい
・一致協力して事にあたり、それによって生まれる団結が楽しい




 という事でしょう。
 これは人間の集団ならば大なり小なり持ってるものです。何も狂信者や暴力団に限った話ではないのが悲しいところです。
 ただ、それでも普通ならば踏み越えない一線を簡単に踏み越えるのが、こういう集団が嫌われる理由であります。
 人間というのは、仲間内の中だけで自分達の外にいる者達を非難する事はあるにしても、それを外部にまで持ち出さないのを暗黙の取り決めとしている所があるはずです。自分達だけで生きていく事はできない、とわきまえているならば。
 多少複雑な思いを抱いていても、自分とそりが合わないと思っても、互いにどこかで一歩引いて変な摩擦は起こさないようにしていくのが、世の中を滑らかに動かしていく秘訣ではないだろうか。
 ネットにおける暴言行為である「荒らし」は、そういった事を無視している所に問題があります。



 人を人とも思わない暴言の数々、それを大勢でやるのは、


・相手が傷ついても構わない
・それで自分に被害があるわけではない
・仲間達とも仲良くできる
・仲間の外にいる連中がどうなろうとも知ったことではない



というのが理由だと思われる。
 これが人間の怖いところである。
 良くも悪くも人間は集団で行動する。それは厳しい自然環境の中で生き残っていくための智慧でもある。
 集団になれば集団内部での軋轢やいざこざも起こる。それは人間が自我や意志を持つ以上仕方がない。自分が大事、という考えがある以上、他の誰かより自分を優先したい、という思いを抱くのは当然ではある。
 そんな人間が集まっているのだから摩擦が起こらない方がおかしい。
 それでも完全に一人で生きていくよりは、他の誰かと行動していた方が生き残る確立は高くなる。自分一人でやらねばならない事も、何人かで協力すれば楽にこなせるようになる。
 だからこそ人は集団をつくろうとするのだろう、と思う。
 天性の我が儘、というようなものが人間には備わっている、とも言えるのかもしれない。
 そういう人間が集まるのだから、それなりにストレスが溜まっていく。その解消先を「自分達」という括りの外に求めているのだろう。
 こういう「仲間の外側にいる人々への思いやり」が極度に欠けているのが、荒らしという連中だと思われる。



・外部への異様なまでの敵意
・内部に対しての異常なまでの温情
・自分達の仲間であり、自分達のルールに従う者への歪な優しさ




 これが行き着くところまでいってしまったのが、異常な宗教団体なのでしょう。
 荒らしもこういった性質を備えている、と思います。




 基本的にこういう集団は、仲間への攻撃はしない。
 そんな事をすれば仲間の結束が崩れるからだ。
「俺達は絶対に傷つけ合わない」という事を無意識に守ってるからこそ、こういった集団は仲良くやっていられる。
 とはいえ仲間を全く攻撃しないのか、というとそうでもない。
 自分達のルールを守らない者には容赦なく攻撃する。元々仲間だったのだから、その攻撃は半端ではない。「仲間だと思ってたのに」という心理が働き、裏切り者には容赦ない攻撃を加える。
 だからこそ抜け出すことができない。
 入ったら最後、脱退することは不可能、とすら言える。



 こういう集団なので、荒らしというのはこちらの理屈や意志は一切通じない。話せば分かるなんていうことは絶対にない。
「何を言っても無駄である」という悟り(あるいは、諦め)が必要になる。





 抜け出せない理由は他にもある。
 もともとどこにも受け入れて貰えなかった連中である。理由は様々だろうが、「ここ以外に行くところがない」となれば今射るところを死守するのは当然である。「そんな事やめて、まっとうに生きようよ」と言っても、そんな言葉を聞くことはない。
 真っ当な生き方が出来なかったから、馬鹿げた事をしているのである。



 中にはマトモな人もいる。
 マトモな人が大半なのかもしれない。
 そういう人が何で馬鹿げた連中の中にいるのかは大きな謎ではある。
 だが、オウム真理教がやったやり口を真似ている可能性はある。
 オウム真理教が入信者の財産を寄進として取り上げていたことをご存じの方もいるだろう。
 これが命取りになる。
 多少なりとも自分の自由になる金があれば、教団を抜け出して新たな一歩を踏み出す事も出来ただろう。だが、先立つ物がないと、どこにも行けなくなる。否応なく教団に協力して、教団(の教祖と幹部)のおこぼれ(かつての自分の財産)を得ることに汲々とせねばならない。
 荒らしも似たような何かがあるのだろう。
 大事な何かを握られ、それによって抜け出すことが出来なくなる。そういう状態だ。
 あるいは、「お前もやってただろ」と言われているのかもしれない。共犯者に仕立て上げられ、その為逃げるに逃げられなくなる。
 そういうものなのかもしれない。




 暴言・罵倒を書き残していく荒らしという行為。
 そいつらを見ているとどうにも上記のようなものに思えてきてしょうがない。
 連中が書き残していく主張に何か意味があるのか、というとそんな事はない。言ってることをよくよく見てみると支離滅裂だし、矛盾がどこかにある。その矛盾も許容範囲を大きく逸脱している事が多々ある。
 マトモそうに見える主張は建前で、本音はもっと別のところにあると思って見てみると結構それが見えてきたりする。
 ようするに、
「面白いから暴れている」
という暴走族のような心理がそこにある。

 言ってる事をまともにとらえてはいけない。
 連中は自分に都合の良い言葉を並べて、それっぽい意味を創り出している。
 だが、それはあくまで建前だ。
 本音は「仲間と一緒に遊びたい」であり、その遊びのために他人を傷つける。荒らしの目的はたったそれだけの事であろう。

 そんなものを寄せ付ける必要はないし、書き置きを残しておく必要もない。
 目に留まったらさっさと削除するに限る。
posted by 気ままにつれづれ・・・・・? at 18:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 荒らし・炎上・コメントスクラムを見て思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月18日

これぞ実例:荒らしコメント撃退

 えー、荒らしコメント削除という行為を、楽しくかつ分かりやすく書かれておられるブログのエントリーがあります。
 許可は得てないのですが、それでも紹介したいと思います。
 これです!

「嗚呼、負け犬の遠吠え日記(新館)」
http://komichin.blog80.fc2.com/


 このブログの次の二つのエントリーが荒らし撃退の最高例となるでしょう。

「悪質行為者に晒しものの刑(笑)」
http://komichin.blog80.fc2.com/blog-entry-46.html

「悪質行為者に晒しものの刑(笑)・2」
http://komichin.blog80.fc2.com/blog-entry-47.html


 一体何が起こったのか、どのように対処したのか。
 それについてはここで述べる必要はあるまい。ただ、この二つのエントリーを読めば事足りる。




 しかし、ここまで見事に、楽しく荒らしコメント削除の顛末を述べてるのを見るのは初めてだ。
 実際のコメント削除も、このようにやっていけばよろしい、という良い例となるだろう。



 また、こういうエントリーこそこのブログが求めているものである。
 もしよろしければ、こちらのブログの下記の所にトラックバックしていただけると助かります。


「らしコメント排除体験」
http://mganeahkzxeagnaeawha.seesaa.net/article/34055551.html


 ここをご覧の皆様も、コメント削除するさいの出来事を綴ってお送りしていただけると、今後の荒らし対策に役立つものと思います。
 対策というのは事前にたてると同時に、体験から学ぶ事も日強津エスから。その為に後手にまわる事も多くなってしまいますが、決して無駄にはならない、と思います。
 勝手な申し出ですが、ご協力いただけると幸いです。
posted by 気ままにつれづれ・・・・・? at 20:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 荒らし・炎上・コメントスクラムを見て思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月20日

匿名擁護は誰のため?

 インターネットの匿名性を擁護する人達は、実名で語ることを酷く嫌がります。
 また、実名を名乗ろうという人達に「ならばお前かが実名を出したらどうだ」と言ったりします。
 一件まともそうなに思えるのですが、とんでもない誤解でしょう。


 匿名が非難されるのは、匿名性を利用して罵倒や暴言を吐き、ネットで荒らし・炎上と呼ばれる行為をしている者達のせいです。
 その結果、匿名でいるのもどうか、という事になったのでしょう。
 この場合悪いのは匿名で暴言をはき続けるネットのチンピラ達が悪いのです。


 匿名擁護の連中に共通するのは、匿名での暴言には全く何も言わないことです。
 この人達に共通するのは、「もちろん暴言は許しませんよ」といいながらも決して匿名による暴言を非難しないところにあります。


 この人達が匿名を擁護する理由は次のようなものなんでしょう。


・匿名擁護の本音:

1、今後もネットで暴言をはき続けた
2、その為には自分の正体がばれない匿名が便利だ。



 こういう人達が匿名であることを擁護するために書き込む様々な理由は何一つ意味がありません。
 なぜならば、全てが荒らしを推進するための方便だからです。


 前のエントリー(匿名に隠れてる連中)でも書いたのですが、匿名性を維持するためにはぜったに守らなければならない事があります。
 それは、


匿名を使う際にはいかなる暴言も吐かない


ということです。
 匿名であると言うことは正体を隠すということにもなります。
 その結果、何処の誰がやったのか容易に断定できなくなります。
 お互い相手のことを知らない、相手が誰だか分からないから普段言えない事が言えたりします。それによって新しい考え方が出てくる事もあるでしょう。
 しかし、それはお互いに相手を尊重し合あうという前提が無ければ不可能です。
 匿名による暴言・罵倒について何も言わないような連中、それを避けられないと言ったり、我が儘というような者達の戯言に騙されてはいけません。


 匿名性の擁護に騙されてはいけません。
 匿名性を擁護する連中が守りたいのは、匿名性によって得られる暴言を吐く機会だけです。


 そもそも、実名であろうとなかろうと、暴言を吐くこと事態が間違ってます。
 削除されてしかるべきでしょう。
 まず、そこを非難しないことには匿名擁護をしても説得力がありません。
「あんた荒らしの手先だな」で終わります。
posted by 気ままにつれづれ・・・・・? at 07:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 荒らし・炎上・コメントスクラムを見て思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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